「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[3] 1949年10月16日】  M1258  2022/10/5

『 Q: どうやって人は死の絶え間のない恐怖から逃れたらいいでしょうか。 A: 恐怖をつくり出しているのは何でしょうか。なぜ人は死を恐れるのでしょうか。よろしければ、これを実験しましょう-私が以前に言ったことだけでなくて、これもまた。ほら、私…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[3] 1949年10月16日】  M1257  2022/2/28

『 Q: 数年前のあなたの教えは理解でき、奮起させるものでした。あなたはそのとき熱心に進化、道、弟子であること、そして大師について話しました。今はまったく異なります。私はすっかり当惑しています。私はそのときあなたを直ちに信じました。そしてい…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[3] 1949年10月16日】  M1256  2021/11/7

Q: 何が、あなたによれば、私たちを解放する真実なのか、私たちに話してくれますか。「真実があなたに生じるのです。それを捜すことはできません」というあなたの声明はどういうことでしょうか。 A: 確かに、何が虚、何が錯覚であり、何が無知であるのか…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[3] 1949年10月16日】  M1255  2021/6/27

『 そこで、なぜ観念と行為の間のこの分離があるのでしょうか。それを理解できるなら、たぶん私達は葛藤を根本的に終らせることができるかもしれません。なぜなら、葛藤は明らかに理解への道ではないからです。私があなたと口論するなら、私があなたと、妻と…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[3] 1949年10月16日】  M1254  2021/2/10

『 私は思うのですが、複雑なもの、そして特に心理的問題を理解するためには非常に静かな心、静かな、しかし強いられた静かさではない心を必要とするということはかなり明白です。平和で、静かであり、それゆえ複雑な問題とその答えを直接に理解することがで…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[2] 1949年10月9日】  M1253 2020/12/3

『 Q: あなたが話すことが非常にたぐいまれで、時折のわずかな人のためであるなら、あなたが私たちに話すことの目的は何なのでしょう。あなたは本当に私たち、大衆、を助けることができるのでしょうか。 A: 私は私の話すことの目的は非常に明確であると…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[2] 1949年10月9日】  M1252  2020/10/25

『Q: 私は神を信じることができないことを見出します。私は科学者ですが、だが私の科学は私に満足を与えてくれません。私は何事も信じる気になれません。これは単に条件付けの問題に過ぎないのでしょうか。もしそうなら、神の信仰はもっと実在のものなので…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[2] 1949年10月9日】  M1251 2020/9/23

『 Q:私は非常に努力しましたが、酒を止めることができません。私はどうすべきでしょうか。 A: 私たち一人一人がさまざまな逃避を持っていますね。あなたは酒を飲み、私は大師に従う。あなたは知識にふけり、私は娯楽に。すべての逃避は同じようなもので…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[2] 1949年10月9日】  M1250 2020/8/17

『 そしてなぜ私たちは内側で安全を望むのでしょうか。外側で、物質的に安全であることは不可欠です。さもなければ私たちは生きることができません。もしも私が普通の食事を持たず、あなたも持たないなら、あなたと私はここにいることはできないでしょう。私…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[2] 1949年10月9日】  M1249 2020/7/20

『 あなたは「歴史に影響するように、個人が何をすることができるでしょうか」と言うかもしれません。彼の人生で何をすることができるでしょうか。あなたが戦争を即座に止めるだろうとか、様々な人の間により良い理解をもたらすだろうとは私は思いません。し…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[2] 1949年10月9日】  M1248 2020/6/17

『 たぶん私たちの大部分は確定した見解を持っています。あるいは確定した結論に達しており、それから外れること、あるいは別の観点から見ることは非常に困難です。なぜなら私たちの大部分は非常に痛ましく生きており、苦しんでいるからです。そして私たちは…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[1] 1949年10月2日】  M1247 2020/5/17

『Q: 偏見とは何でしょうか。どうやってそれを本当に克服できるでしょうか。あらゆる偏見から自由な心の状態はどんなでしょうか。A: 偏見を克服できるでしょうか。何かを克服することはそれを何度も繰り返して再度征服することです。偏見を本当に克服で…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[1] 1949年10月2日】  M1246 2020/4/17

『Q: 別の戦争があるでしょうか、どれほどのうちに。A: あなたは私から予言を望みますか。それであなたの投資を守ることが出来ますか。さて、なぜ私たちはそのような質問を尋ねるのでしょうか。戦争になろうとしているかどうか、あなたはわからないので…

「自我の終焉」の源流を尋ねて 1949年ロンドン講話[1] 1949年10月2日  M1245 2020/03/15

『 そして私たちが永続的と称するものは何でしょうか? 私たちに永続的なものを与えてくれる、あるいは与えてくれると私たちが思っている、私たちの求めているものは何でしょうか? 私たちは永続的な幸福、永続的な満足、永続的な確実性を求めていませんか?…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[1] 1949年10月2日】  M1244 2020/02/16

『 それゆえ、私達の問題は私達自身の全体の過程の結果であるので、それはもの、観念、人々のどれとであれ関係の中の行為なのですが、私達自身の理解がなければならないということが不可欠ではないでしょうか? 私自身を知ることなしには、私は考えるための…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[1] 1949年10月2日】  M1243 2020/01/12

『 それで、どんな問題も全体の過程の結果であり、排除的な孤立した結果ではないので、それを理解するためには、私たちは私達自身の全体の過程を理解しなければなりません。そして私達自身を理解するためには-ただ表面的に、上層の心の一二の層の中だけでは…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[1] 1949年10月2日】  M1242 2019/12/15

『 自己認識は問題を理解することの始めです。信念、観念、知識は、自己認識なしには、まったく本当に何の意味も持っていません。自己認識なしには、それらは錯覚に、あらゆる種類の複雑さと愚かさにつながります。その中に私たちは非常に微妙に逃避できるの…

「自我の終焉」(K)から学ぶ 【1949年ロンドン講話[1] 1949年10月2日】  M1241 2019/11/10 

『 これは一続きの最初の講話です。大部分の人は、すべての講話に来ることは出来ないでしょうから、出来れば、各々の講話をそれ自体で完結するようにしようと思います。 問題を持っている私たちの大部分にとって、私たちがそれぞれの問題をそれ自体の平面上…